Delutions Adachi
都市と幻想、記憶と妄想
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memo_205 (Saikyo Line)

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memo_rain

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時間の流れの中で、この街明かりの中で、時計の針が、確かに進む程、私は人の存在の不確かさに愕然とします。

頭の真上の、天井のそのずっと先、東京タワーのてっぺんよりも高い位置から、もしも夜の都市を見下ろすことができたとしたのなら。よく考えるんです。
そういう、人の手に負えない程に広がってしまった都市の中で、人は果たして、夜のどこにいるのでしょうか。

こうやって高い建物ができて、高い所から街を見下ろすからこそ、街の姿が分かるのですよね。
「無限に」と言いたくなってしまう程の、都市の眩しさや、人がこの街に依存していることが、記憶に焼きつく程、強く感じます。

メガロポリスの中、人はずっと、光に依存しています。部屋の電気を消したって、外は何処かで光っているから。
電気のない、明かりの無い都市というのは、もはや都市では無いのです。
そしたら、人の生態すらも、もはや都市そのものになってしまいました。人がその中で生きていることが、都市の条件。
血管のような道路が張り巡らされる都市の中で、人は往復を繰り返します。都市の栄養のように。目的地と目的地の間を何回も何回も行き来して、自分のエネルギーをはじめとし、沢山のエネルギーに依存しながら。
もはや人は、光の中で生きるものになってしまいました。それが当たり前になってしまった。

だから、人は夜の何処にいるのか、と考えてみたとき、なかなか答えにたどり着くことができませんでした。
人は今日も夜を超えます。でも、純粋な夜と触れ合うことは、本当に少ないような気がします。
太陽が沈んで、光がなくなって、天球の下が、真っ暗になってしまう、夜本来の姿の中。人が活動する姿は、どうしても想像できません。
暗闇の中で動く人というのは、もはや街に住む人にとっては、ちょっぴりホラーなんですよ。
でも動物たちは普通です。最近、帰り道の途中でよく会う猫がいるんですけど、彼は本当に暗闇のなかに溶け込みます。私をじーっと見た後、すすすっと暗闇のなかに消えていきます。私はそれを見て、怖くないのかなと思いますが、そう思う時点で、もう光なしじゃ生きていけないのかなって。

人は夜の何処にいるのか。
都市において人は、絶えず、光の中にいると思います。活動しているとき、睡眠を取る時も、常に何かしら、何処か周囲が光っています。
本当に真っ暗な街なんて、実は私は想像できないんです。寂しいのです、それは。
無機物だらけの街の中、冷たいコンクリートの壁は、光があることではじめて温かく見えるんです。暗闇の中で冷酷に広がる光のないコンクリートの波は、考えただけでも、身の毛がよだつ思いがします。
ああ、そうなんです、もはや私も、光に依存しているんです、誰よりも。夜景が好きっていう時点で、もう、都市の明かりにハマっちゃっているんです。
こんなことを書いているってことは、誰よりも、やめられないんですね。美しいものが好きです。街明かりが好きなんです。自分でも気づいています。

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生きるか、死ぬか、私たちはただそれだけの存在ではないと思います。私たちは、ほんの少しでも死に近づくと、とても苦しいからです。

呼吸を止めてみるとよく分かります。たった少しの時間でも、酸素と二酸化炭素のガス交換量が減っただけで、私たちの身体はすぐに悲鳴をあげてしまいます。苦しくなります。

身体はこんなにも複雑なんですけれども、でもわりと死はすぐそばに見えやすくて。本当にそういうところ弱いな、怖いよなって思います。

転びそうになったり、ぶつかりそうになったり、むせそうになっただけで、はっとします。心拍数が増えて、腕に、首に、強い脈を感じる。そういうときに初めて私は生きていることを実感しているような気がします。

死ぬまで規則正しく収縮と拡張をひたすら繰り返してくれる心臓。同じ動作をずーっとずーっと繰り返して行なっているんですけれど、私の心臓、二十年間、よくも狂わなかったよな、と思います。すごいなと思います。心房と心室を規則正しく収縮させて、一見単純なような動作かもしれないけれど、同じことをずっと繰り返し続けるって本当にすごい。私が心臓だとしたら、とてもできそうにないなあ(そして心臓は、ごくまれにそのリズムを誤ってずらして行なってしまうこともあり、そういうときが大変です、それだけでもう機能しなくなってしまうこともあります)。心臓の心筋は不随意筋なので、自分で止めることができません。言わば死への最後の砦だと思います。

夜寝る前、枕に耳を当てると、脈が伝わってきて、少し怖くなるのです。それは、普段意識しないような、死を少しだけ意識してしまうからなんじゃないかと、思います、これは完全な私の思い込みですけれども。

少しでもずれてしまえば死んでしまうような心臓を抱えたたくさんの人が、今日も街の中で眠りにつくのは、なんだか不確かすぎて、考えてもきりがなさそうです。心臓は寝てる間も動いてるから、やっぱりすごいな。
そうなんです、私は心臓が好きです。

月がいくつもあるようなものなのです、夜の街は。でも、その中で、大切なものは一つだけでいいと思います。電灯の下で誰かのことを思ったり、自分のことを思ったり、今日のことを振り返ったり、のら猫を見つけたり、そういうような、日常の中のこと一つだけでいいと思います。何も考えずに、頭の中に何か浮かぶのを待つもいいですよね。
夜景はサブであっていいと思うんです。私は夜景を描いたり、撮ったりする人間だけど、私が作ったものを含めて、夜景を見ながら他のことを考えたって全然構わないんです。(むしろ、あなたがそこで何を考えているのかが気になります。)

そうやって音楽を聴くように、夜を受け流しながら、何か考えているのが心地いいんですよね。

太陽がないと、生き物は本当に、生きていることに対して孤独になってしまいます。死への恐怖とか、暗闇そのものでしかないから。
夜であることにとらわれなくてもいいと思います。

でもどうして夜景が美しいのか?って考えると別なんですよね!結果的に生きていることそのものに迫って行くことになります。夜はとても怖いですね。

月がいくつもあるようなものなのです、夜の街は。でも、その中で、大切なものは一つだけでいいと思います。電灯の下で誰かのことを思ったり、自分のことを思ったり、今日のことを振り返ったり、のら猫を見つけたり、そういうような、日常の中のこと一つだけでいいと思います。何も考えずに、頭の中に何か浮かぶのを待つもいいですよね。
夜景はサブであっていいと思うんです。私は夜景を描いたり、撮ったりする人間だけど、私が作ったものを含めて、夜景を見ながら他のことを考えたって全然構わないんです。(むしろ、あなたがそこで何を考えているのかが気になります。)

そうやって音楽を聴くように、夜を受け流しながら、何か考えているのが心地いいんですよね。

太陽がないと、生き物は本当に、生きていることに対して孤独になってしまいます。死への恐怖とか、暗闇そのものでしかないから。
夜であることにとらわれなくてもいいと思います。

でもどうして夜景が美しいのか?って考えると別なんですよね!結果的に生きていることそのものに迫って行くことになります。夜はとても怖いですね。

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僕は毎日のように東京がどうだとか大阪がどうだとか都市の光がどうだとか書いたり話したり考えたりしているから、
身体から吐き出される表現を見る限りでは、メガロポリスのようなものにしか興味がないんじゃないか、とか思われているかもしれない。無理もない。

けれども実際は、ありふれた日常の中にも十分に興味がある!し、日々の流れの中の風景を、美しいと何回も思っている。最近は特に。本当にそういう些細な一瞬を大切にしたい!些細とか思っている時点で寂しいね、心からただひたすらに、美しく見えるようになりたい。

コップに水を注ぐ有り様、
ガラスの中で揺れる水の形、
水面とその下の屈折視界の変化、
水の中に映り込む窓の外の景色、
水を捨てるときの手の動作、
傾いたコップ、
変化する影、
水の流れ出る形、
水がシンクに落ちて、アルミとぶつかったときの広がっていく感じ。一瞬で散らばって、なのに流動的で本当に綺麗。

一番綺麗だったのは、水を飲み終わったコップの底から見えた、魚眼レンズで覗いたような街の姿だった。時刻は17時半を回った頃。

夏の夕方は、まだ明るくて、小さな積雲の集まりが、地平線の向こうに歪んで見えた。僕の住む街は、最近は快晴の日が多くて、夕方になると全ての建物の側面が同じ色になる。空のほんの少しだけ赤みがかった青と、ビルのコンクリートのほんの少しだけ赤みがかった白が、隣り合わせになって並んでいる。本当は並んでるわけじゃないけれど、まるで並ぶかのように、美しい。平筆でしっかり塗り分けたような、すっきりとした有様。
いつも見慣れたような街は、コップの底から通して見ると、何故だか懐かしく感じた。私の「懐かしい」は一体何処から来るのか未だに分からない。

やっぱり私が一番好きなのは、都市なのね。

2244

もう戻れないと思う頃には、まだ戻れるんじゃないか。記憶がそばにあるうちはまだいいと思う。本当に戻れなくなるころは、多分時間が経ってしまったころなのだ。いつもの町がいつも通りに見えなくなったとき、いつものチョコレートの味がいつもと違うとき、帰り道に猫が現れなくなってしまった頃、私はさよならを思う。

去年の春、久しぶりに都庁に上ったのだけれども、私がいつも思い描いていた都庁からの新宿の眺めとは、全然違うように見えて、ああもう、私は昔に戻れないのかと、静かに思った。そしてその景色は、過去のそれとはまた異なって、とても美しいものだった。私の身の回りの環境が変わって、見える景色も大きく変わっていった。それこそが、時間が経ってしまったということへの、手の出すことのできない、美しい実感だった。どうすることもできない、ただ受け入れるがままの。

最近は、そう、最近は、コンクリートの影の色と、ガラスに映り込む空の色ばかり観察している。それから、その無機物の中で動く人たちの影と。無機物の中で生き物が動き出す様は、どうしてだか、とても魅力的だ。それを再現するには、コンクリートや金属の冷酷な堅牢さと、生き物のあたたかい生々しさが描けるようにならないといけない。できればシャープな細かい描写で、それでいてシャープでないように見える描写を、目指したい。一見自然なのに、よくよく見たらシャープだった!というような。

何の変哲も無いような、平坦すぎるコンクリートの壁を表現するのが一番難しいと思う。マンションの壁とか、みんなあまり気にしないから、少し気にしてあげたい。あんなに美しいところ、生き物にはなかなか無いよな。マンションを下から見ると、部屋の明かりがこぼれ落ちるだけではなく、街にある多くのあらゆる光が、僅かながらもそれぞれのベランダに溢れていることが分かる。ISO感度高いような目で夜を見ていたい。でも私は、夜景の撮影は100とかの低感度が好き。

私の街の見方はどんどん変わって行くけれど、以前の見方に戻そうとすれば戻せることができるから、まだまだ昔の自分の見方には戻れそう。でも、もう戻れないことも多くて、その分私は、この街で生きてきたのか、としみじみ感じる。

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僕のおばあちゃんは目が悪い。

もともと遠視で、近くが見えない状態が続いていた、
歳をとるにつれて、最近はますます目が悪くなったみたいで、
買い物も、文字が読めなくて、とても辛いみたいだ。

でも駅で私を待ってるときは、何故だか私のことがすぐ分かるみたいで、とても不思議。温かい。


それから、おばあちゃんは、心臓も少し弱いらしく、旅行をするにしても、遠出を嫌う。
歳をとってからは、やっぱり疲れも日に日に強く感じるらしく、歩くのも大変そうだ。一緒の旅行はもう、10年以上もしてない。

昔から僕は、おばあちゃんに、私が見た東京の景色をどうしても見せたいと思っていた。今も思う。
東京で見た、ビルの集団や、その夜景、止まることを知らないような鉄道網の流れ、東京の風景は私にとって美しいものばかりだったから。その感動を誰かに伝えたかったのだ。

(おばあちゃんは最後に東京に行ったのは東京タワーがまだ出来ない頃らしく、私の勝手な思いではあるが、今の成長した東京の無数の街明かりを見ておばあちゃんがどうそれを見るのか本当に気になっていた。)

高校生の頃は、いっぱい写真をとって、その殆どをおばあちゃんに見せていた。でもおばあちゃんはスマホ越しに見ても何が何だか分からないみたいで、いつもよく見えないと言う。パソコン越しでもなんとか分かるような感じみたいで。
うーん、どうにかして私のこの感動をそのまま伝えたいなー、と私はずっと模索していた。

それはおばあちゃんに対してだけじゃなかった。私の感動を誰かにそのまま伝えたいなとは、常日頃からおもっていた。
どうしてだろう。1人の感動は1人のものでしか無いからかな。

私はそのように色々と考えるうちに、自然に夜景を描くようになっていた気がする。
おばあちゃんは相変わらず昨日も目が悪くて、春に結構頑張って撮った天王洲アイルのキリンさんとか東京モノレールとか港沿いのマンションとか見せても、よくわからないみたいだけど、私がこの前完成させた絵の夜景部分は、すこぶる喜んで見てくれる。何故だか私の絵は細かいところまで見えるみたいだ、細部まで観察しながら、これは何?と聞いてくる程に。一体どうして見えるんだろう。どっちにしろ私はとても嬉しい。

いつか東京モノレールを描いて伝えたいな。

昔からそうだった。何か用事があって私が東京に行く度に、私は写真をいっぱい撮って、

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私にとって美しいものは、私にとって美しいままに、この世界にただ存在している。
美しいと直感で感じるものが、どうして美しいのか、私はそれがわからないままに、二十年間、生きてきた。
考えて考えて、思考は深いところに潜り込んで行くのだけれど、でも、肝心な所にはまだまだ到達しそうに無くて、そんな状態を、ただ毎日繰り返している。

今日もその明確な理由が分からないまま、いつものように夕焼け色が過ぎて行き、空は藍色に染まる。夕焼けがどうして美しいと感じるのかについては、未だに分からない。
多分、これから先も、ずっと、分からないことは分からないまま、肝心なものを手に入れることはできずに、時間が過ぎていき、私はそれに圧倒されて、
それを探りながら、いつものように絵を描きながら、答えに辿り着かないまま、死んでいく。

そしてその過程の中で、今まで気づかなかったような、たくさんの綺麗なものを見つけて、死んでいく。

完成です。

細かい所まで、ビルの奥まで、窓の中まで、街を展望台から見下ろすような気持ちで見てもらえたらとても嬉しいです。

無数の街灯りの中で、数えきれない程の命が燃えている。

みんなが様々なことを考えながら、無数の思いを浮かべて生きている。

そういうことが無意識に伝わってくるような、現実の夜景にも負けないような風景を描きたかったのです。まだまだなところも沢山あるけれど、このことは、これからも追求していきます。