DELUTIONS ADACHI

切なさと、未来都市


twitter:planetarium021

Install Theme

2231

人と話すのが正直かなり苦手で、特に社交辞令というものは本当に苦手で、その必要性は分からないわけではないが、それを考えたくもない程に嫌いである。なんというか、全く話せないわけではないし、形だけの必要性(無味乾燥じみたような人付き合いのため、といったような理由)があれば、スイッチを入れてなんとか話すことができるがこれがかなりエネルギーがいるもので、本当にしんどい。かといってスイッチをオフにして一人黙っているのも、しんどい。こういうとき、一匹狼で誰の目を気にせず自分の世界に入り込めたらまだ自分にとっては楽だったのかもしれないが、そうはいかず、正直すごく面倒くさい人間だなと思う。

ある程度時間が経つと、少ないメンバー間で徐々に仲良くなっていき、一部の人とはかなり濃くなるが、興味を持てるのは本当に少人数で、それこそ、初対面の興味もないような人にいろいろなことを話したりする場面は、非常にエネルギーを使う。コミュニケーション障害という概念が、いったいどこまで正確に人のコミュニケーションについて表すことができているかは知らないが、しっかりとした障害の部類があるのであれば、診断を受けてしかるべき対応を受けた方が身のためなのではないかという他力本願な気持ちにいるのが最近の自分の傾向である。社会に対しては申し訳なく思うことも無いし、自分でよくなろうとも、うわべだけは思うが、やはり面倒なものは面倒、嫌いなものは嫌いで。どうもうまくいかないことが常である。

それでまあ、こんなことを書いている今日のような日は、まあ御察しの通り気持ちもかなりブルーなので、ひとりでいるとすごく落ち着くのだけれど。たまたま用事があって東京に来ていた今日は、天気が雨で、夕方のそこそこ大事な用事が終わって、小雨の中、駅前の歩道橋を渡ろうとした。その踊り場で、雨の日の夕暮れの、藍色の空気に包まれた美しい街灯りをみた。こういう日はいつも以上に、何か「美しい」と感じる閾値がとても低くなっているかのようで、五感の知覚を感覚器官から経て、脳内の隅々までたっぷりその雨の日の藍色の街の美しさが心に染みた。なんて美しいんだろうと思った。少し寒い時に香り高い深煎りのコーヒーを飲んだときのような染み渡り方だった。普通のコーヒーが、こんなに美味しかったか!というように染み渡るときのような。夕暮れのオフィスビルのランダムに着く灯りが、小さなコンクリートの中を人工的に流れる川の水面に反射して、下まで灯りを垂直方向に筆で流したかのようだった。航空障害灯の赤も、まるで濃い絵の具を、チューブからそのまま出したかのような勢いで原色のまま世界に存在して、まるで絵具の素材感を活かしたような、前衛的な絵のようなのである。

正直にいうと、僕は人に興味が持てないし、全くというわけではないけど、興味のないことが大半だし、周りの人よりも興味が持てていないなと思っている。そして、そこらへんにいる人よりかは、ずーっとこういう街の風景の方が魅力的だと、今日みたいに美しい街の景色を見るたびに思う。

今日話さなければいけなかったよくわからない人とか、人の本当に表面的なものばかり触れて、興味も持てないような状況に比べれば、オフィスビルの光は、余程綺麗だ。それらの光は表面的なもので、最も、中の情報や人のことなんて知らないし、興味も持てていないのにも関わらず、人の表面的な表情や感情なんかよりもよっぽど綺麗だと思う。

綺麗というか、綺麗というのは、その姿形に興味を持てるという意味も含んでいる。ずっと見ていたい。記憶に収めていたいなんて思える。そういう類の「美しい」である。

人間ももちろん、全くそういう瞬間がないかといえば嘘だけど、同じような数だけ、並ぶビル・並ぶ人間の群があったのなら、間違いなく並ぶビルを見ている方が好きだし、落ち着くものだ。

繰り返しになるが、端的にいえば、人に興味を持てていない、のだと思う。
僕は何かデータを介して、例えば大多数の人を、写真を介して、液晶で見たりとか、そういう風にした方がとても魅力的に見えたりする、ように思う。


だが奇跡的に、こういう冷酷な自分にもとても美しく見えたり、魅力的に見えたり、そういう人がいる。
話の内容がどうこうとかではなく、例えば、目の中に光が入ったときの、眼球の光沢や、目をつぶったときの、わずかな隙間から見える黒目の輝きとか、そう、私は目を見ているのが好きなのだと思う。好きな人の目を見るのが好きだ。

好きに思える人の目は、まるで街灯りを見ているときのように落ち着くことがある。しかし街灯りと大きく違うのは、ビルの中身なんて何も知らないのとは相反するかのように、その人の中身は、自分が思う限りでは、ある程度深いところまで知っているという点にある。

人の見た目は、あくまで私が、美しいと思う分には、その見た目だけで十分のように思うのだ。中身がどうであれ、中身というのは性格や生活歴とか、そういうのがどうであれ、美しいものは美しい、そこに変わりはない。


これまで私は、人にしろ無機物にしろ、中身と外見の両方を考えていた。そしてそれは恥ずかしながら外見以上に深く見ているという優越感を得たかったためだ。

しかしこの歳になって、私はただ美しいものを求めているのみなのだと思ったのだ。自分が美しいと思えるものを、この手で掴みたい、ものにしたいという欲望のみが、しっかりと心の中にあるのだと思った。

繰り返しになるがその「美しさ」とは、本当に外見のみの美しさに対してだ。中身に対する視点というのは、本当に後からついてくるものなのだと思った。そして全く別々に考えている場合が多くあるのだということも、この歳になってようやく自分を省みることができた。

人にしても、風景にしても、物にしても、やはり美しいものはずっと見ていたいのだ。

しかしそのようなことを日々感じていると、そのうち何故美しいと感じるのか?という問いになってくる。そしてその問いに対して、私は大概、視覚的なパターンを観察し、系統化しようとさせる。

しかし仮に系統立てて自分が感じる美しさについてその傾向を説明できるようになったとしても「美しい」と感じるその感動そのものが、理性から来ることはないように思う。

「美しい」という感覚は、本能から来ている。あくまで自分の場合は、だけど。「美しい」と、直感的に思う。理屈もなしに。美しさ、とは、自分のその本能的な瞬間的な感情そのものにある。すごく尊いものである。

勿論、科学的にそのような美しいと感じる機序を説明立てられることも、きっとあるかとは思うが、しかし本当にすごいと思うのは、私が数少ないながらもときたまに感じることのある、「生命に対しての美しさ」である。

建築物や、絵画などは、あくまで人工物で、ある程度誰かの「美しい」が加えられて成り立っている節があるとは思うが、人の表情やパーツというのは、本当に数多の偶然から成り立っているものである。そのように偶然の成り行きでできたものに対して、偶然の成り行きでできた自分が、「美しい」と思えるのは、もはや神の遊びとしか思えない。

0509

都営地下鉄には地上に出る区間がいくつかある。

それまで真っ暗で、景色も何もなかった大きな真っ黒の硬い板に、突然描かれる都市の光。

夜に見るとそれらはますます、現実から遠ざかるように、ただ黒い平面に白と赤の光が次々と映し出されているかのようで、ますます虚像らしく思える。

駅を超えると地下鉄の電車は速度を上げて夜の街に溶け込む。

遠くの高層マンション群の航空障害灯が、黒い板に赤の点で綺麗に塗られていく。高速道路の下をクロスして、間も無く鉄路は大きな大きな川に差し掛かる。

この光景は私にとってはかなり圧巻で、東京の広さを改めて思わされる。

川沿いにあるマンションの大群。

遠くに見える高層ビル群と、それに並ぶ航空障害灯。

運良ければ羽田にゆっくり着陸する飛行機の、点滅する大きな機体も見える。

多分この川も、同じ広さであったとしても、東京の街でなかったらそこまで広大さを感じなかっただろう。

光の量、特に奥までずっと広がる道路の無数の車の明かり。

対岸に広がる数え切れないほどのマンションの1つ1つの生活の光。

道を歩いているときとはまた異なった、マクロな視点での東京を、地下鉄の乗客である僕は、東京の街に見せつけられる。

東京の街で息をしている僕の、この命の削る瞬間すらも、私は数えきれない都市の中の、ほんの電車の明かりの一部でしかなくて、一度降りて仕舞えば、僕は夜の黒に紛れて、自分で自分を探すことはできないように思う。

しかしこのように川の上を走る電車の光景というのは特別で、まるでステージの上に上がったかのようで、真っ黒な川の上にただ光る小さな走る箱の中にいる限りは、東京を何かどこか遠くの知らない街に来たかのように思わせてくれるアトラクションのようだ。

川沿いの首都高速のトラックの2つのヘッドライトと大きな影は、川沿いに連続して建てられた高架の上をゆったりと動いているように見えて、あんなにゆったりだとまるで全てが計画の下のように動いているかのように見える。

鉄道模型のように誰かがスピードをコントロールして、線路の側に顔をつけて実物が走るのを想像するのと大した変わらない気分で遠くの車を見た。

目の前にいたらその大きさと重さと通過する威力に圧倒されてあっという間に心が引かれてしまうだろうに。


そう、僕はこれから夜景を撮りに行こうとしていた。

こんなことを書いているうちには、とっくに川は過ぎ去り、都営地下鉄はそのわずかな地上区間を終え、再びトンネルの中へ潜り込んで行く。

地下にも沢山の駅がある。沢山の人がいる。

沢山の店がある。

各駅に各路線がそれぞれ接続していて、多くの人が流れ込んではまた流れていく。

当然だ。いつものことだ。

この箱は、沢山の人に交通費と距離を消費されて、電車らしく見えているだけだ。

この乗り物も私1人だけだったら、どこに連れられていくかわからなくて、少し怖くて乗れないだろう。

そんなことを言っておきながらこの間終点の手前で一両に誰もいなくなったことがあった。案外怖くない。

きっと東京がおかしくなって、乗客が僕と他数人になったとしても、僕らは変な顔せずに乗っているだろうと思う。

数えきれない他人を見ても、見なくても、そこに重要な意味の違いは無いように思える。


そう、夜景。

夜景を撮りにいくのは、東京の街の色を個人的に収めておきたいのと、こんな僕にもそれを見せたい人が東京にいるのと、あとは知らない人にも認めてもらいたいのと、それから無味乾燥じみた徒歩や階段の上り下りをどうにか美化して衝動を受けたかったからだ。

時々自分の冷酷さが嫌になるし、コンクリートにでもなって街の一部でひんやり冷たい壁として生きていた方が性に合っていたのではないかと思うが、しかし私にもはっとするほど美しく感じるものというのは、この世界に数少ないながらも存在する。

それらは箇条書きであげることもできる。

夜の中に浮かび上がる、赤の光。

マンションの中の小さな箱庭での生活。

ベランダから眺める何でもないような意味のない眺め。

洗濯物の完了した通知音。

そいつらを抱えたときのひんやりとした感覚。

好きな人との待ち合わせまでの街中でのぽつんとした待ち時間。

想像つかない夜の街の片隅の一緒のご飯。

羅列したこれら単体が好きというよりは、これらが生活の中で、何個かが時系列内でリンクして、そして全てが繋がって、冷酷な私にも心が傾けられるような、そんな世界を見出すような過程があるからこそ、なんとか生きている。


あのあと数枚か写真を撮った。

全然上手く撮れなかった。

こんなに上手く撮れないのなら、外に出ずにはやく作ったご飯を一緒に食べればよかったと後悔した。

しかしそれでも東京の街の階段をひたすら上り下り上り下りしているとほんの少しでも見えてくる光景は私にとっては、何かあまりにも規則的に感じられてそれが美しくて、そんな中で規則的に動くのがめちゃくちゃ苦手な私の奇跡的に上手くできる料理が今日も不規則の中で出来上がる食卓の中であなたと食べられることを幸せに思う。

2012


昔の曲を聴くと、強く未来を感じることが多かった。未だ見ぬ未来と向き合っているような感覚だ。昔の曲というのは、特にジャズの古い曲のことで、1950-60年代のジャズなどを指す。ビッグバンド形式からソロやトリオ編成に変わっていく、情熱的なものや、逆に落ち着いたものも増えてきた辺りのジャズ。個人のプレーヤーに焦点が当てられるようになり、名プレーヤーを主題に冠した、未だに名作と愛されてやまないようなアルバムが、何枚も出ている頃である。私は、その時代のジャズを聴くと、昔から、独特な感覚に惹きつけられることがある。端的に言えば、未来を感じる、というような感覚、というようなもので、具体的には、懐かしさと、何かを失ったような気持ちと、過ぎ去った過去の記憶を辿りながら、静かに、夜を迎えるというような感覚である。

私がジャズを聴き始めたのはとても不純な動機で、なんとなくジャズそのものよりも、「ジャズを聴いていたらかっこいい」と思ったためだった。もちろんこんなきっかけで聴き始めた人は沢山いるだろうし、このような動機を決して否定するつもりはない。

中学校の頃、以上のような理由で、ジャズを聴きたいと母に言った。確か理由も素直に言っていた、ように思う。

母は大したジャズファンでもなかったし、というか全く知らなかった、はずである。母は、優しいことにその次の日とかにCDを買ってきてくれたのだが、やはり母も多分そんなに詳しくなかったので、そのアルバムは、所謂往年の名プレーヤーの名盤とかではなかった。色々なプレーヤーを混ぜた、特にテーマもないような、メインの楽器も様々の、50-60年代のセレクションしたオムニバスアルバムだった。

ただ、案外これが良かったのか、分かりやすく大変聴きやすいものが多かったので、最初から何度も聴くことができた。
かっこいいから、という動機ではあるものの、テレビやお店で流れるジャズの音は好きだったし、すんなり、私の耳に入ってきた。

そのアルバムの一曲目は、しっとり、しかし繊細かつどこか寂しさ漂うようなピアノの曲だった。初めて聴いた時の、ハッとした感覚を、未だに思い出す。再生ボタンを押した時の独特な期待と胸の高まり。
最初に聴こえてきたのは、シンプルなピアノの音が静かに空間に響くような音だった。音が鳴っているにも関わらず、矛盾しているかのようだが、本当にその曲は、静かな曲で、そして私の思考と想像を、簡単に支配してきたように思う。

https://www.youtube.com/watch?v=_uCL1_YcRwk

月夜に、明かりを消した窓から、一人で、月明かりと、静かな街を見下ろすような、そんな情景を連想させた。自然と、そんな風景が浮かんだ。
なんて寂しい様子だろうと、なんて寂しい曲なんだろうと、今になって思う、未だに何度も聴いても思う。
だが、なぜかその寂しさの中に、誰にも触れられないような、繊細な美しさを感じた。
何度も聴いているうちに、いつの間にかその曲の寂しさは、孤独を通り越して、そこに一人でいるということに、どこかとてもしっくりきて、そういう想像をずっとしていたいような、不思議な感覚に陥った。その曲を聞くたびに、そうなっていた。
お前はどこまでも一人なのだ、と、言われているような気がした。

それが、Bill Evans との最初の出会いだった。
当時はそれがBill Evansによる演奏ということすらも、全く気づいてもいなかった。
誰が弾いているか、などは考えずに、ずっと一通りそのアルバムを聴いていた。

本当に全体的に聴きやすいアルバムだったので、何も考えずに聴くことができた。

だが、当時は、本当にBGMのような扱いで、勉強中とかに軽く流して、といったように、作業をしながら聞くことが多かった。
聞かない時は全く聞かなかったし、ずっと聞かないこともあった。

後にジャズピアノが好きなような気がして、自分でジャズピアノプレーヤーのアルバムを買いに行ったことがある。
そのときもまだBill Evansのことは知らなかった。
地元のタワーレコードに行って、「ジャズ」「ピアノ」のところに行って、いろいろ見てみた。
見てみたと行っても、全部が試聴できるわけではなかったし、できるものでも店員さんに声をかけないといけなかったので、内向的な高校生当時の私にはハードルの高い行為であり、それはできなかった。
なので、いわゆる「ジャケ買い」をした。

ジャズに詳しい方はご存知のように、ジャズのアルバムは大体、ジャケットが格好良い。
特に50-60年代のアルバムは、プレーヤーの写真を白黒や、青黒、黄黒、赤黒印刷処理したような、シンプルで渋いものが多かったので、それだけで買ってしまいそうになるものも多かった。
タワレコの店員さんのポップと、ジャケットの良さで迷った挙句(こんな迷い方を許して欲しい)、一番最初に買った「プレーヤーのアルバム」はバド・パウエルの “The scene changes”だった。
これも詳しい方はご存知のように、Bill Evansとは全く異なる味を持つ方で、正直、最初に聞いたときはいまいち良さがわからなかった。
「クレオパトラの夢」でこそ、わかりやすかったものの、彼独特の「唸り声」が耳元で響き、それが私には受け付けなかったのだ。

後に大学生になってから改めて聞くと、なんだこの格好良い曲は、となり、めちゃくちゃ好きになったのだが、当時は適切なタイミングではなかった、のかもしれない。
で、当時のバド・パウエルのショックが大きく、ジャズって難しいな、となってしまい、しばらく聴かない時期があった。

その後、インターネットが自宅にも繋がり、YouTubeで様々な音楽が聴けるようになった頃、部活の疲れと、高校生活の日々に嫌気がさしていた私は、落ち着いたジャズを聴きたいと、ふと思いつき、「ジャズ 静か 眠れる」と言ったような検索をかけた。
ジャズに詳しい方が、たくさんおすすめの曲を載せてくれていた。

それらを聞いているうちに、1曲、とても心に残る曲があった。
なんだこの、寂しさは、なんだこの、懐かしさは。
一瞬で虜になった。
懐かしくて切なくて、一人取り残された未来で、寂しさを思うような曲だった。
それこそが、私が中学生の時に聴いていた、Bill Evansによるプレイだったのだ。

https://youtu.be/0Yr4oYyDHn0

彼の奏でる、”Porgy (I Loves You Porgy)” 、名アルバム”Waltz for Debby”に収録された、最後の曲だ。

奏でられるピアノ、ベース、ドラムの音が、空間全体に本当に溶け込んでいる、まるで音をグラスに注いで、絶妙に溶かしたかのように、しんみりと、じんわりと。
クラブでのライブ録音なので、1961年6月25日のNYのヴィレッジ・ヴァンガードの時間そのものが録音されている。当時の空気がそこにある。
ドアの閉まる音、客の笑い声、グラスの鳴る音。不思議なのは、まるでそれらの音全てが、この曲のためにあったかのように、溶け込んでしまっていること。
雑音ですら、愛おしい。寂しさの中に、全てが抱擁されているかのような、これ以上にないほどの、美しい「切なさ」が、完成している。

このアルバムは、そんなにジャズを聴かない人でも、知っているかもしれない、というくらい、日本ではかなり有名なものである。
私もこれは何度も聴き倒した。特に、Porgy。

そして時が経つにつれて、一番最初に母が買ってくれたアルバムの解説などを見るうちに、それぞれの曲にプレーヤーの名前が載っていることがわかった。
最初の印象的だった曲がビルエヴァンスだと気づくのには時間はかからなかった。どこか運命的なものを感じた。

ビルエヴァンスは、天才的なプレーとは裏腹に、多くの悲しい側面を抱えた人物でもある。
特に麻薬依存、それによる苦悩、また人との離別に関しても、彼の人生において、ここでは多くは語らないが、多くの悲しい歴史があった。後に私も調べてわかったことではあるが。
彼は、そのような苦悩の中で、どのような思いで、この曲を奏でていたなだろうか、と思う。
悲しみの中で、どのような思いで、ピアノを奏でていただろうか。
NYの一角で、何を思い、ピアノの前にいただろうか、と。

そして私も、いつの間にか時が経って、25歳になった。
色々な人と出会い、色々な人と離れた。もうこの世界では、二度と出会えない人もいる。
世界はただ過ぎるが、何かをするにしては短過ぎるものの、ただ一人で生きるには、あまりにも長過ぎるようにも思う。

私はきっと、未来を予測していたのだと思う。いつか、みんないなくなってしまうと。時を繰り返して、いつか、一人になってしまうと。
生きていると、そのような予感がしてしまうようなものにたくさん出会う。数多くあるもののうち、Bill Evansはその中の一つだった。
孤独とは、未来であり、未来もまた、孤独なのだと思う。
周りの人がいなくなって、そして私がいつか死ぬとき、考えるだけで絶望的だが、
そんなことは、今こうして一人暮らしをして、夕暮れの京都の街をベランダから見ることと、対して変わらないように思う。
そして、そんな寂しいときでも、きっといつものように夜は来るだろうと。今日のように。

おやすみのあと

0156

ビールが美味い季節になった と言いたいけどビールはいつだって一定の条件下に身体を満たせば絶妙に美味い

どうしてこんなにビールビール言うほどにビールを好きになってしまったのかと最近改めて思う
20歳なりたての頃なんて、尖ってて、ビールのCMや、ビールを好きなおじさんおにいさんたちのことを、どうしてそこまで欲せれるのかと冷静な目でしか見ることができなかった(すみません)

僕がビールが明らかに心から「大好き」と言えるようになったのは、大学院進学にあたり京都に来てからだった

東北日本海沿岸出身の自分にとって、春の京都は既に猛暑に等しかった
(じゃあ夏はどうなるのって話だよね 夏は事実の冷凍都市に亡命してました)
春は、引越しの準備とかで色々とあたふたしてて、それこそニトリやらイオンやら色々な場所に足を運ぶ必要があったが、その都度公共交通機関を使い、物を運んでいたので、とてもとても汗をかいた
また、学校に行く際も、京都の春などもはや東北の夏(言い過ぎに思われるかもしれないが、自分の体感的には本当に暑い)で、帰って来る頃にはものすごく汗をかいていた
はっきり言って私がただの暑がりということもあるが
そのように喉の乾いた状況で、たまたま呼ばれた歓迎会などで飲むビールは劇的に美味かった
炭酸が乾いた喉を焼き尽くすような刺激
麦の香ばしい香りと味が口を満たし、喉を通り、鼻から抜けて行く
苦味すらその香ばしさに旨味を感じずにはいられない
喉を突き抜ける排気すら美味い(汚くて申し訳ない)
そんなこんなでそれ以降、私は完全に自分が今ビールが美味しく飲めるな!と思うシチュエーションを完全に理解してしまったのだ

自分で自分のことがわかる これ以上幸せなことはない
あとは安いスーパーで美味しいビール(ビール系の発泡酒でもどんとこい)を買うだけ それだけで、たった100円から200円と少しだけで世界は黄金色に輝き、夕暮れに永遠を感じ、自分の部屋すらも、なんだか満足の中に囲まれているような気分になってしまう
なんて素晴らしいツールなのか、いや飲食物なのか、と思う

ここに自分の料理が加わればとんでもなく楽しい
少し塩味強めに作った、鶏肉と大根の煮物(これが自分の中では今のところベスト)、あるいは唐辛子たっぷりのペンネ・アラビアータ(最高に簡単で最高に美味いぜ)、あるいは唐辛子にカイエンヌペッパー、ブラックペッパーたっぷりたっぷりの激辛チキンマサラ(突き抜ける爽快なスパイスは病みつきなのだ)なんて加わると料理の美味い!とビールの美味い!が組み合わさり、もうなんか人生うまくいってるななんて思えてしまうし、もう今目の前にある状況で、いいじゃんか、とすら思えてしまう とてもQOLの高い状態を感じる

僕が自慢したいことは、京都で、このようにビールを楽しむことができているという点である

ここまでで、こいつは何を言っているのかと思う人もいるだろうし、申し訳なく思うが、適当に読み流して欲しい

秋田出身の自分にとって、京都にいるというのは、かなり新鮮なことだった
秋田の人が京都に行くことなんて、特に自分の場合は滅多になかったし、それ自体が観光のようなものだった
だから、京都にいるという時点で、未だに少し特別な気持ちがあり、その気持ち自体は捨てられないし、ある程度その気分で酔ってる状態を保つことで風景を切なく見ることができたりした

そしてまた、お休みの日にはどこか出かけたりもした
簡単に神戸や大阪、あるいは丹後、舞鶴の方なんかにも行きやすい

その都度私は美しい風景を度々見てきた

その中でも一番印象に残っているビール飲み行為は、同期の人と18きっぷを使って、天橋立に行ったことだった
帰り、辺りが暗くなってきた宮津駅から少し歩いたよくわからない地元のスーパーで、缶ビールと、お惣菜の唐揚げを買った
いつもみている銘柄なのに、宮津の街のレトロでアナログな独特の雰囲気は、キリンのマークすらどこか遠くの知らない街の模様に見えた
ビールと唐揚げを買って電車に乗り込んで、同期の人と割り箸を割って、缶ビールを開けた
僕ら以外もう1人おじさんが乗っている以外は誰もいない、古い薄暗い蛍光灯の夜に囲まれた車内に、プシュッという音が響いた
ディーゼルエンジンで揺れる車内、独特の古い匂いの中で、よくわからないスーパーの唐揚げを頬張りながら、ビールを流し込む
汗すら乾いた体に唐揚げの懐かしく香ばしい匂いと、どこか遠くの街で買ったようなビールが流れ込んできて、暗がりの街を走る列車から見える車窓は、僕にとって初めての風景のはずなのに、とても、愛おしく思えた

(つづくかもしれない)

おやすみのあと

while sleeping

深夜、毛布に包まって、都市の夜を思い浮かばせることが多い。私が寝ている間も都市は眠らずに輝き続ける。そのような一面輝いた空間の中の片隅で、私は息をしながら休んでいる。時々、眠っている間は意識が飛んで行って、いつか見下ろした街明かりの上を、飛んでいるかのように思う。

0220

○新幹線で東京に行くのも慣れてきた。
新横浜まで来れば、もうあっという間なのだ。

○先日、久しぶりにディズニーランドに行く機会があった。
最後に行ったのは15歳、中3のときに修学旅行で行った。
なので約10年ぶりだった。
なんだか10年も経ってしまったのか、という思いだ。

昔子供だった頃は10年という月日は、とても長い時間だと思っていた。
とても想像がつかないような時間の単位だった。

しかし今となっては、もう今年で25歳になろうとしており、
もう10年を2回と半分使い果たしている。

歳をとるごとに時の流れが速くなると皆が言う。
しかし、いつだって時の流れは速く、残酷のように思う。

1日の中でも、街が夕暮れに染まるときは一瞬で、
買い物を済ませ外に出るとそれはいつの間にか無くなっている。

○時が過ぎて行くのは、大体そのような感覚だと思う。
僕が「時が過ぎて行く」と言うその「時」とは、きっと何か少しでも心が動かされる時間を指している。
眠っている時なんか、正直この世にいる感覚はないし、最近は昔の夢ばかり見る。
現実において、1人でも、誰かといるときでも、心に残るような時間は、そのときには永遠のように感じるが、過ぎ去ってしまえばもうそれは過去のことである。世界は驚くほど、自然と私の感情を揺さぶってくれるものが多い。

○生まれて初めてディズニーランドに行ったのは、確か小2の冬だった。丁度クリスマスのシーズンに母と行ったことを覚えている。

当時の私にとって、あの舞浜駅の雰囲気といい、ディズニーランド周辺の雰囲気というのは、とても特別なものだった。私が子供だったからそのように見えたのか、よくわからないが、
とてもよく覚えているのは、アトラクションに乗っている時のことよりも、
夕暮れの舞浜駅から東京方面に伸びていく高架の先に染まる桃色の空、架線の黒い影、高速で通過する特急列車、信号機の小さな赤。私にとっては美しいと感じるものばかりだった。
舞浜駅ではディズニーの音楽が流れていて、「星に願いを」がかかっていたことを未だに覚えている。
僕はそんな舞浜駅の都市らしい感じと少しファンタジーな雰囲気が好きで、母が買ったインスタントカメラでなんとか写真に収めようとした。
暗い空間でなんとかして撮った1枚は、帰ってから現像しに行ったら真っ暗になっていて、あんなに輝いてた空間なのに、なんだか嘘みたいであっけないなと思った。

遠くに見える葛西臨海公園の大観覧車も好きだった。当時はそれが葛西臨海公園とかも知らなくて、本当に知らないことだらけで、とても特別に見えたなと思う。

○あれから時間はたった。約17年。
母は亡くなり、元気だった祖父の要介護度は進み、祖母の背中は少しずつ小さくなっている。
こんな記憶の思い起こしを、私は今眠らない東京の、深夜の無数の明かりの中の1室から書いている。当時は予想もしなかった場所で、東京の片隅で。
どうしてか、書き留めておきたくなった。
最近、昔の記憶を忘れてきている気がするから。
世界が目まぐるしく変わって、周りもどんどん変わって、自分も変わって、あるいは変わらざるを得なくなって。
とは言っても、全然変われないが、世界は徐々に移り変わる。
昔の記憶も少しずつ、当時の新鮮な感覚を忘れそうになっている。

○「あの日見た夕暮れはとても美しかった。」
そう言いたくなるような夕暮れを、私は25年間で何度も見てきた。
世界をカラーで見る機能が自分の身体にあって、割と良かった。
夕暮れを見ることはとても贅沢だ、美しいものは贅沢。

でも、そんなことが、晴れた日には、これまで毎日のようにあった。
そんな中で自分の周りの世界は少しずつ、少しずつ、どんどん、入れ替わるように変わって行った。

あの日ディズニーランドで見た夕暮れを、またいつものように、僕は一昨日この目で見た。
夕暮れの中、ポップコーンの行列で並びながら、17年前に同じように並んだように、ポップコーンを一緒にいる人に買ってもらって、一緒に食べた。
あの日と同じ味なのかは、私も思い出すことができなかった。

もう戻らないのだな、と思う。
あの日の時間はもう、戻らないのだと、
黄昏のアトラクションの行列の中で、そんなことを思う。
それは、母が今生きていても、同じことだったはずだ。
私は二度と戻らない時間の中を生きている。
子供とか大人とか、そんなことは関係なしに。

けれど、今日も夕暮れが美しいのは変わらない。
そんな変わらないものが世界にあってくれて良かったと思うのだ。

そのようなものも無くなってしまえば、私は思い出すことも無くなって、記憶ごと時間を使い果たしてしまうので。

0401

乗り物酔いしやすいから、いつも電車に乗るときは窓の外の景色ばかり見ている
新幹線だったらA席かE席がマストだ
学生だから金が無いので乗れて自由席だ
座れたらいい方で通路側のときはなんとか小さな窓の外の流れる光を横目に眠りにつく

いつも時間を潰すのが苦手だった
1人が得意そうとよく言われる
全く得意ではない
喫茶店で時間を潰すとか
電車に乗っているときに何かを読んだりとか
私はそんなことができる人が羨ましくて仕方がない 見ててとても美しいと思うし そうなりたいと何度か試みるも 私の集中力が持続しない問題と、酔いやすい問題で、長続きしないのだ

だからいつも目で見えるこの世界をただ見ている 受け入れるがまま
観察が好きなのでもなく、ただ特に考えず見ることが多いので 、直感的に視線を窓ガラスの向こうへ置き、ただ時間が過ぎるのを待つのみ

20数年そういうことをやっていると、同じものばかり目を追っていることに気づく

架線が過ぎ去る外の景色 遠くの山 晴れた日の青空 夕方のオレンジの街 夜のマンション群と光る道路
私が見ている世界は特別なものでも何でもない ありきたりなものに過ぎない

ただ繰り返しの中に 過去の自分を照らし合わせて これまでの人生を思う
あの日もただただこんな色だったなと思う

高校生の頃、画塾のために短期間東京にいたことがある あのときは今よりもずっと東京が違って見えて 慣れてなかったこともあって 街の姿、ビルの影の形 全部が美しく見えた 講習が終わったら、少ないお金で地下鉄の切符を買って景色が綺麗そうなとこに手当たり次第行っていた

今日もどこかに行こうと、画塾が終わり夕暮れの新宿の街を歩いているとき 電話がかかってきたことがある
当時電話でやり取りする相手なんて殆どいなかったし、当然母くらいしかいないし、やはり母だった

辺りが桃色の空気に包まれる西新宿の街 見上げると超高層ビルの頂点が、夕暮れの空気に航空障害灯と共に突き刺さる そんな風景の中で携帯電話の奥から地元にいる母の声がした
未だに覚えている とても優しい声だった
別に1人で東京にいることが不安とか寂しいなどは思わなかったが
黄昏の空気の中、電話の向こうから聞こえてくる母の声は 夕暮れの光と同じように 私を包み込むような落ち着くものだった
特別な話をしたわけではない
ただ、私ばかり話していたような気がする 今日あったこと、東京の街の話、すごいなって思ったこと
母は話を聞くのが上手で ゆっくり頷いて聞いてくれて
私ばかり話していた もう少しで春を迎える まだ肌寒い東京の街

そんな出来事を最近ふと思い出した
京都に進学して以来、よく東京に行くようになったり、他の街にもよく行くようになって、あの頃のように都市が特別すぎるものではなくなった
けれど 空の色とビルの影 街の光 いつもの光景で思い出す 電話越しの母の声

私ばかり話していたな もっと母の話を聞けたら良かった
武蔵野線から見える夕暮れの東京を見て どうにもならないことを考えて 今日も私は あなたのいない世界を生きている
あなたは特にみたがらなかったかもしれなかったけど 今日のこのいつも通りの何の変哲も無い夕暮れは 私がどうしても、どうしても、あなたに見せたかった風景で
こんなどうでもいいように思える美しい景色が見られる今日を生きていられるこの命がある世界に もしあなたの鼓動があったならと 続いていたならと 毎日願ってやまない 叶わないと分かっていながらも もしも2018年を一緒に生きられたらと 夜の街に溶け込む電車の中で だらだらと思っている

母のいない3度目の春が来た あの日以来桜が咲くのを見ると、いつも数え挙げている気がする
まだ3度目か 人生は長いな 長すぎる もうこれからずっとあなたのいない世界しか生きられないなんて、長過ぎやしないか あなたの好きだった桜は今年も世界で同じように咲いて 春のざわめきの中で静かに風に舞っている

人の代わりなんてどこにもいない いなくなったら穴が空いて そのままである
だからこそ一緒に生きている大切な人に関しては とにかく愛していたいと 願ってやまない 春の夜

0555

3月が始まったかと思えば3月も既に終わりに近づいた

季節を覚えた頃のことは全く覚えてないが 24回目の春を迎えた今も この暖かい空気はどこか感情を動かすものがある それだけ23回分の春の中の記憶が今年の3月の時間にうまいこと絡まっている

この1ヶ月世界中を駆け巡っている

バンコク ハジャイ 大阪 東京 ボストン そして明後日にはソウル ロンドン
自分でも驚くほど 海外に行く機会が増えた

そしてそれがはじめての海外の経験だったのだから、色々慣れないことも多かった 初めてパスポートを申請し入国審査出国審査などして 国際線の飛行機に乗る 着いたら写真でしか見たことのないような街に降り立つ 飛行機の窓の外には本当に知らない街が広がっている

一番印象に残っているのは どこの国の何とかではなくて、時差だった

日本と比較して時差がある 教育課程で習ったことを、身をもって実感した 日本の人に連絡しても、こちらは朝なのにそちらは夜だったりして なんだかとても不思議だった
まるで別の世界にいるようだと思ったのだ

今とても会いたい人がいる 何度も会ってるけど それでも会いたい人
海外にいて その人に連絡をとることが なんだかいつもよりも特別だった 時差があってまるで 2人違う時代に生きているみたいだったから 違う世界に生きているみたいだった

私が見ている景色を その人と見ることはできない

少なくとも同じ空の色を同じ時間に見ることは叶わない

日本にいるときは離れていても 同じ夕焼けを見ていられる

けれど 東京は夜の7時 バンコクは夜の5時 ボストンは朝の6時 ロンドンは朝の10時

時差があると同じ時間に夕焼けや朝焼けを見たりすることはできない 空の色は普遍的でずっとずっと時間が経っても いつまでも決まった色をしているから街が変わってもそれは私たちの心の中でじんわりと残り続けている けれど同じ時間に同じ空の色を見られるわけじゃない

そんなことと言って仕舞えばそんなことなのかもしれない けれど夕暮れ時にふと人を想い、今は何をしているだろうと思いながら自転車で鴨川を下る時間が私にとっては生活の中でもとっても重要な部分だったから

それができないことが寂しかったのと 同じ時間にいて 近い距離で会えたり、同じ時間に会って 同じ時間にご飯を食べたり寝たり そんなことは同じ時間の中にいないとできないこと

という当たり前な必要条件を身に染みて思う朝方の京都

天気は今週から始まったひどい雨の続きで 僕は空港に向かうバスの先頭に座って 高速道路のテールランプが過ぎるのを 眠い目でぼんやり追っている

目的地はロンドン ヒースロー空港
けれど心が着陸したいのは会いたい人のそばだったり お布団の中だったりして
夢の中へダイバート 少しだけ眠りにつきたい

0009

悲しくもないのに悲しい曲を聴いて悲しい気分に浸って
時に私は満たされたいのかそうでないのか自分がよくわからなくなることがある
不安なときは幸福を求め、良いことがあるとどこかで不安になり、私は両方を求めるような形で、寂しいもの、切ないものを求めながら、人や物を通じて欲求を満たしあって、都市の中を、都市を食べるように、まるで野生のように生きている

ところで、この世界の本当に美しいものは、大概切なく見える、と思う
都市が、これ以上の赤が無いというほどに、真っ赤に染まる夕焼けは、幸せというよりも、
切なさや、寂しさ、とかの言葉の方が、ずっとしっくりくる 美しいのに切ないのは全く変なことではなくて、むしろ私が美しいと感じるものは大概切ないものだった

懐かしい色で満たされる街は、失った過去を思い出すかのようで、それが何を失ったかさえわからずとも、どこかに置いてきたような気がする、何かの挫折や失望、損失の終着点、そんなどこかにしまい込んでいたかのような思い出の隙間を、黄昏の空と赤信号の境界に求めて、今日も私は、過去の記憶と共に、今日の夕焼けの中に、いつかの思い出を見ている

何かが終わりに近づいたり、何かの姿が変わってしまうような時 人は何故か、そんな確からしさに唯一の美しさを求めている

静かに終わりを意識しては、私は家事に戻る
今日も缶ビールを開ける音、夕飯の支度をする

缶ビールが飲み終わるとき、それは1つの終わりであり、一日の終わりであり、夜への始まりであり、そんなことで費す夜は、例え何も捗らなくても、私にとってはとても愛おしい時間である

初めて訪れる街の、初めて見る景色は一度、いつか夕焼けに染まるその景色を見たいと思う また誰かと訪れて 夕焼けの中の記憶を一緒に共有できたら どれだけ幸せなことだろうか

曇りの日の青い色の空気の中に佇む、航空障害灯のように
ただそれだけで完成していて、美しい存在になりたかったのかもしれない

そんな人なかなかいないけど、時々、まるで夜の街の中でただ一つ、静かに、けれどしっかりと輝いている人がいる そんな人の存在は 例え遠く離れていても 強く点滅し続けている