Delutions Adachi
都市と幻想、記憶と妄想
website:planetarium
twitter:planetarium021
blog:plalog

Install Theme

0018

夏を焦がすような夕日の日差しが、赤信号の赤に当たって、同じ色を反射させていた。
東側の空は鼠色の空が広がっていて、西側に面したビルの側面が真っ赤な夕焼け色に染まる中、背景のグレーとの対比が美しい。

都市の中に浮かぶような赤色が、何故だか最近は、とても際立って見える。

街の中には、沢山の赤色の光が溢れている。歩いていればすぐに見つかる。例えば、交差点の中に浮かぶ信号機は、必ず赤色に光るときがある。踏切の警報機もそう。
超高層ビルやマンションなんかによくある、航空障害灯とか。もっと高く言えば飛行機の明かりなんかも。
逆に近くにあるものでは、車のテールライトとかバックアップライトとか。

私は、そんな、街の中でぽつりぽつりと光り出す赤が好きだ。
自転車で走りながら、横目で道路をみて、ペンで一直線に引いたような光跡が見えたとき、一瞬ながらもそれを無限に引き伸ばしたような永遠の時間を視界に感じる。

夜に近づく都市の中を細かく刻むような、赤の線は、青や白よりも、より遥かに繊細なのではないか。
最近の私はそういうことばかり、街を見るときはそういうことばかり考えてて、
知らず知らずの間に秋が来て、多分もうそろそろ、木の葉の色が赤信号の色になる。

丸ペンで描いています。

丸ペンで描いています。

こういう景色は、大抵は見過ごされてしまうものなのかもしれません。
日々の生活の中で、ビルの上や、電車から見える街の姿は、1日1日の時間を消費するように生きる私たちにとっては、とても目を凝らして見ていられるものではありませんし、
見ても素通りしてしまうことも多いものです。

でも、夜景は綺麗です。やっぱり綺麗ですよ。こればっかりは、少なくとも私の中では変わらない真実です。みなさんのなかでも、そうかもしれません。人間が生きている限り、この先も夜景はあり続けるでしょう。でも、全ての人間が突然に消えてしまったら、やがて夜景そのものがなくなってしまう。夜景は人間が生きている証拠です。エネルギーを消費して生活している証拠です。

そういうことは、生きていることを当たり前にしてしまえば、なんともないように思えてしまいます。当たり前のようにご飯を食べる、水を飲む、歩く、走る、友達と喋る、家に帰る。これらの何の変哲もないような日常生活の動作が、当たり前になってしまうと、その途端に私たちは、「死」というものが見えなくなってしまう。
いつ死ぬかなんて、誰にも分からないから、だからこそ尚更、私たちが生きながら「死」を意識することはなかなか難しいものです。
誰もが明日があることを漠然と信じていて、明日も街明かりが絶えない夜を無意識のうちに把握している。
この街はこの街で有り続けるということを、どうしようもなく信じている。何処にも証拠がない状態で、あまりにも頼りないままで。

2234

夜の空が黒になる直前の、藍色の、藍色の、藍色。限りなく黒に近い藍色。
ビルと空の境目が、分からなくなるぎりぎりのところ。その辺りの色がずっと続いてくれるのが一番いい。
月が出て少しばかり明るかったりすると、街全体も何処かほんのり青みがかっている。一つ一つの窓から、こぼれ落ちる生活の明かりが、滑らかなコンクリートの壁に反射して、ビルとビルの隙間が、静かに輝いている。
高いところから見るとそういう光景がたくさん地平線の先まで広がっていて、綺麗だと思う、本当にそういう景色が好きだ。

私は殆どモノトーンで都市を描く。カラーインクを使うこともあまりない。だから自分から自分の記憶の中にある色を出していくことは少ない。
けれど、私の記憶のなかに色が無いわけではないし、できれば、モノトーンで記憶を紙の上に再現したとして、そこからカラーを感じるだけの絵が描けるようになりたい。
どうして私が徹底的にモノトーンで描き続けるかと言うと、単純に見る側の記憶で色を付けて欲しいという理由がある。見る人にとっての都市の色を、頭のなかで塗って欲しいと思う。極力、見る側に自分の主張とか考えとかが押し付けるようなことは無いようにしたくて、それこそ本当の夜景を見るように、私の絵を眺めることができたらいいと思う。
でも勿論そのなかで主張したいところは主張する。自分が夜や都市のどこに魅力を感じているのか、とか、そういうところはこれからもどんどん追求して行こうと思うし、夜景を好きな気持ちだけは誰にも負けたくはない。
なんやかんや、「世界で一番好き!」ってすごく難しいことなんだけど。なかなか難しい。でも難しいのは楽しい。

今描いてるものです。昔のものも修正してます。

memo_205 (Saikyo Line)

memo_205 (Saikyo Line)

memo_rain

2217

時間の流れの中で、この街明かりの中で、時計の針が、確かに進む程、私は人の存在の不確かさに愕然とします。

頭の真上の、天井のそのずっと先、東京タワーのてっぺんよりも高い位置から、もしも夜の都市を見下ろすことができたとしたのなら。よく考えるんです。
そういう、人の手に負えない程に広がってしまった都市の中で、人は果たして、夜のどこにいるのでしょうか。

こうやって高い建物ができて、高い所から街を見下ろすからこそ、街の姿が分かるのですよね。
「無限に」と言いたくなってしまう程の、都市の眩しさや、人がこの街に依存していることが、記憶に焼きつく程、強く感じます。

メガロポリスの中、人はずっと、光に依存しています。部屋の電気を消したって、外は何処かで光っているから。
電気のない、明かりの無い都市というのは、もはや都市では無いのです。
そしたら、人の生態すらも、もはや都市そのものになってしまいました。人がその中で生きていることが、都市の条件。
血管のような道路が張り巡らされる都市の中で、人は往復を繰り返します。都市の栄養のように。目的地と目的地の間を何回も何回も行き来して、自分のエネルギーをはじめとし、沢山のエネルギーに依存しながら。
もはや人は、光の中で生きるものになってしまいました。それが当たり前になってしまった。

だから、人は夜の何処にいるのか、と考えてみたとき、なかなか答えにたどり着くことができませんでした。
人は今日も夜を超えます。でも、純粋な夜と触れ合うことは、本当に少ないような気がします。
太陽が沈んで、光がなくなって、天球の下が、真っ暗になってしまう、夜本来の姿の中。人が活動する姿は、どうしても想像できません。
暗闇の中で動く人というのは、もはや街に住む人にとっては、ちょっぴりホラーなんですよ。
でも動物たちは普通です。最近、帰り道の途中でよく会う猫がいるんですけど、彼は本当に暗闇のなかに溶け込みます。私をじーっと見た後、すすすっと暗闇のなかに消えていきます。私はそれを見て、怖くないのかなと思いますが、そう思う時点で、もう光なしじゃ生きていけないのかなって。

人は夜の何処にいるのか。
都市において人は、絶えず、光の中にいると思います。活動しているとき、睡眠を取る時も、常に何かしら、何処か周囲が光っています。
本当に真っ暗な街なんて、実は私は想像できないんです。寂しいのです、それは。
無機物だらけの街の中、冷たいコンクリートの壁は、光があることではじめて温かく見えるんです。暗闇の中で冷酷に広がる光のないコンクリートの波は、考えただけでも、身の毛がよだつ思いがします。
ああ、そうなんです、もはや私も、光に依存しているんです、誰よりも。夜景が好きっていう時点で、もう、都市の明かりにハマっちゃっているんです。
こんなことを書いているってことは、誰よりも、やめられないんですね。美しいものが好きです。街明かりが好きなんです。自分でも気づいています。

2157

生きるか、死ぬか、私たちはただそれだけの存在ではないと思います。私たちは、ほんの少しでも死に近づくと、とても苦しいからです。

呼吸を止めてみるとよく分かります。たった少しの時間でも、酸素と二酸化炭素のガス交換量が減っただけで、私たちの身体はすぐに悲鳴をあげてしまいます。苦しくなります。

身体はこんなにも複雑なんですけれども、でもわりと死はすぐそばに見えやすくて。本当にそういうところ弱いな、怖いよなって思います。

転びそうになったり、ぶつかりそうになったり、むせそうになっただけで、はっとします。心拍数が増えて、腕に、首に、強い脈を感じる。そういうときに初めて私は生きていることを実感しているような気がします。

死ぬまで規則正しく収縮と拡張をひたすら繰り返してくれる心臓。同じ動作をずーっとずーっと繰り返して行なっているんですけれど、私の心臓、二十年間、よくも狂わなかったよな、と思います。すごいなと思います。心房と心室を規則正しく収縮させて、一見単純なような動作かもしれないけれど、同じことをずっと繰り返し続けるって本当にすごい。私が心臓だとしたら、とてもできそうにないなあ(そして心臓は、ごくまれにそのリズムを誤ってずらして行なってしまうこともあり、そういうときが大変です、それだけでもう機能しなくなってしまうこともあります)。心臓の心筋は不随意筋なので、自分で止めることができません。言わば死への最後の砦だと思います。

夜寝る前、枕に耳を当てると、脈が伝わってきて、少し怖くなるのです。それは、普段意識しないような、死を少しだけ意識してしまうからなんじゃないかと、思います、これは完全な私の思い込みですけれども。

少しでもずれてしまえば死んでしまうような心臓を抱えたたくさんの人が、今日も街の中で眠りにつくのは、なんだか不確かすぎて、考えてもきりがなさそうです。心臓は寝てる間も動いてるから、やっぱりすごいな。
そうなんです、私は心臓が好きです。

月がいくつもあるようなものなのです、夜の街は。でも、その中で、大切なものは一つだけでいいと思います。電灯の下で誰かのことを思ったり、自分のことを思ったり、今日のことを振り返ったり、のら猫を見つけたり、そういうような、日常の中のこと一つだけでいいと思います。何も考えずに、頭の中に何か浮かぶのを待つもいいですよね。
夜景はサブであっていいと思うんです。私は夜景を描いたり、撮ったりする人間だけど、私が作ったものを含めて、夜景を見ながら他のことを考えたって全然構わないんです。(むしろ、あなたがそこで何を考えているのかが気になります。)

そうやって音楽を聴くように、夜を受け流しながら、何か考えているのが心地いいんですよね。

太陽がないと、生き物は本当に、生きていることに対して孤独になってしまいます。死への恐怖とか、暗闇そのものでしかないから。
夜であることにとらわれなくてもいいと思います。

でもどうして夜景が美しいのか?って考えると別なんですよね!結果的に生きていることそのものに迫って行くことになります。夜はとても怖いですね。

月がいくつもあるようなものなのです、夜の街は。でも、その中で、大切なものは一つだけでいいと思います。電灯の下で誰かのことを思ったり、自分のことを思ったり、今日のことを振り返ったり、のら猫を見つけたり、そういうような、日常の中のこと一つだけでいいと思います。何も考えずに、頭の中に何か浮かぶのを待つもいいですよね。
夜景はサブであっていいと思うんです。私は夜景を描いたり、撮ったりする人間だけど、私が作ったものを含めて、夜景を見ながら他のことを考えたって全然構わないんです。(むしろ、あなたがそこで何を考えているのかが気になります。)

そうやって音楽を聴くように、夜を受け流しながら、何か考えているのが心地いいんですよね。

太陽がないと、生き物は本当に、生きていることに対して孤独になってしまいます。死への恐怖とか、暗闇そのものでしかないから。
夜であることにとらわれなくてもいいと思います。

でもどうして夜景が美しいのか?って考えると別なんですよね!結果的に生きていることそのものに迫って行くことになります。夜はとても怖いですね。