Delutions Adachi
都市と幻想、記憶と妄想
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at hotel

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tokyo skytree on a rainy day

shinjuku

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2017

大好きな景色の場所があった。何の変哲もない平坦な道路で、家々の間から見える、遠くの街や、海沿いの工場。
特別な景色ではなくて、日常の中に潜んでいるような、帰り道にふと見えるようなものだったけど、何故だかそういう眺めが好きだった。

けれど大きな建物が建ってしまって、そこからは遠くの街が見えなくなってしまって。
それ以来もう、その景色はどこにも無くなってしまった。

色々なものを失ってきたし、
多くの人はそうだと思うけど、
失ったことを覚えているのなら、まだいい方なのかなとも思う。
記憶の中でいつでも過去のことはある程度思い起こせるし、感動したこととか、優しくされたこととか、嫌なことを含めて、なかなか忘れようとしても忘れられないし、生きてるうちは、絶対に無かったことになんかならないし。

だから一番怖いのは、失ってしまったことを、忘れてしまったり、気付かずに生きてしまうことなのではないかと思う。
失ってしまって、この世になくなってしまったものを、個人の歴史上にしか存在しないものを、その人が忘れてしまったら、本当に何処にも無くなってしまうので。

景色なんかは本当にそうだと思う。街なんて、人の心よりも変わりやすいのではないか。人の生死よりも早く移り変わってしまうのではないか。誰かが誰かの望む通りに、どんどん作っていくから。
みんなに気付かれないだけで、見過ごされてしまうだけで、街はどんどん変わってしまう。

昔に比べたら、街明かりがどんどん増えている。街が未来に向かうとはどういうことなのか。人が未来に向かうとはどういうことなのか。

私がもっと年を取る頃には、夜空には今よりも遥かに航空障害灯で溢れているのだろうか。

  シャープであることに拘りました。都市の繊細さについて、何回も考えながら描きました。

シャープであることに拘りました。都市の繊細さについて、何回も考えながら描きました。

0018

夏を焦がすような夕日の日差しが、赤信号の赤に当たって、同じ色を反射させていた。
東側の空は鼠色の空が広がっていて、西側に面したビルの側面が真っ赤な夕焼け色に染まる中、背景のグレーとの対比が美しい。

都市の中に浮かぶような赤色が、何故だか最近は、とても際立って見える。

街の中には、沢山の赤色の光が溢れている。歩いていればすぐに見つかる。例えば、交差点の中に浮かぶ信号機は、必ず赤色に光るときがある。踏切の警報機もそう。
超高層ビルやマンションなんかによくある、航空障害灯とか。もっと高く言えば飛行機の明かりなんかも。
逆に近くにあるものでは、車のテールライトとかバックアップライトとか。

私は、そんな、街の中でぽつりぽつりと光り出す赤が好きだ。
自転車で走りながら、横目で道路をみて、ペンで一直線に引いたような光跡が見えたとき、一瞬ながらもそれを無限に引き伸ばしたような永遠の時間を視界に感じる。

夜に近づく都市の中を細かく刻むような、赤の線は、青や白よりも、より遥かに繊細なのではないか。
最近の私はそういうことばかり、街を見るときはそういうことばかり考えてて、
知らず知らずの間に秋が来て、多分もうそろそろ、木の葉の色が赤信号の色になる。

丸ペンで描いています。

丸ペンで描いています。

こういう景色は、大抵は見過ごされてしまうものなのかもしれません。
日々の生活の中で、ビルの上や、電車から見える街の姿は、1日1日の時間を消費するように生きる私たちにとっては、とても目を凝らして見ていられるものではありませんし、
見ても素通りしてしまうことも多いものです。

でも、夜景は綺麗です。やっぱり綺麗ですよ。こればっかりは、少なくとも私の中では変わらない真実です。みなさんのなかでも、そうかもしれません。人間が生きている限り、この先も夜景はあり続けるでしょう。でも、全ての人間が突然に消えてしまったら、やがて夜景そのものがなくなってしまう。夜景は人間が生きている証拠です。エネルギーを消費して生活している証拠です。

そういうことは、生きていることを当たり前にしてしまえば、なんともないように思えてしまいます。当たり前のようにご飯を食べる、水を飲む、歩く、走る、友達と喋る、家に帰る。これらの何の変哲もないような日常生活の動作が、当たり前になってしまうと、その途端に私たちは、「死」というものが見えなくなってしまう。
いつ死ぬかなんて、誰にも分からないから、だからこそ尚更、私たちが生きながら「死」を意識することはなかなか難しいものです。
誰もが明日があることを漠然と信じていて、明日も街明かりが絶えない夜を無意識のうちに把握している。
この街はこの街で有り続けるということを、どうしようもなく信じている。何処にも証拠がない状態で、あまりにも頼りないままで。

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夜の空が黒になる直前の、藍色の、藍色の、藍色。限りなく黒に近い藍色。
ビルと空の境目が、分からなくなるぎりぎりのところ。その辺りの色がずっと続いてくれるのが一番いい。
月が出て少しばかり明るかったりすると、街全体も何処かほんのり青みがかっている。一つ一つの窓から、こぼれ落ちる生活の明かりが、滑らかなコンクリートの壁に反射して、ビルとビルの隙間が、静かに輝いている。
高いところから見るとそういう光景がたくさん地平線の先まで広がっていて、綺麗だと思う、本当にそういう景色が好きだ。

私は殆どモノトーンで都市を描く。カラーインクを使うこともあまりない。だから自分から自分の記憶の中にある色を出していくことは少ない。
けれど、私の記憶のなかに色が無いわけではないし、できれば、モノトーンで記憶を紙の上に再現したとして、そこからカラーを感じるだけの絵が描けるようになりたい。
どうして私が徹底的にモノトーンで描き続けるかと言うと、単純に見る側の記憶で色を付けて欲しいという理由がある。見る人にとっての都市の色を、頭のなかで塗って欲しいと思う。極力、見る側に自分の主張とか考えとかが押し付けるようなことは無いようにしたくて、それこそ本当の夜景を見るように、私の絵を眺めることができたらいいと思う。
でも勿論そのなかで主張したいところは主張する。自分が夜や都市のどこに魅力を感じているのか、とか、そういうところはこれからもどんどん追求して行こうと思うし、夜景を好きな気持ちだけは誰にも負けたくはない。
なんやかんや、「世界で一番好き!」ってすごく難しいことなんだけど。なかなか難しい。でも難しいのは楽しい。

今描いてるものです。昔のものも修正してます。